解くコツこつこつ 〜大学入試問題・国語〜

基本的な解法のコツを分かり易くご紹介します。歩みを止めずけれど焦らず、一緒にこつこつ勉強して行きましょう。

2017年度 慶應義塾大学 文学部ー小論文 No.2

3、要約の主要部分を見極めよう


評論文において中心となるのは筆者の考え ( = 主張 ) 部分だ。
この課題文 ( 以下、評論と呼ぶ )の筆者は「わたし」である。

前半部分に出てくる「掛谷誠先生」の講義内容は、「わたし」が「Living for Today」=「その日暮らし」に興味を持ったきっかけに過ぎない。この部分に書かれているのは、掛谷先生の考える「その日暮らし」に対する肯定である。「わたし」の主張ではない。

また、中間部分に挿入される「内田氏」の時間の話は、後に「わたし」が自身の主張を述べる際に、時間という切り口で語りたいが為に出てきたものである。
ということで、この評論を要約するならば、その主要部分は、掛谷先生の講義を受け、内田氏の理論を知った「わたし」が、自分の考えを語る部分となる。割合としては、評論も3/4を過ぎた辺りからが中心となる。



要約は全体を満遍なくまとめるものではない。主要部分を読み取って、その部分を中心に書いて行こう。



(本文)経済や社会の発展との関係は、もう少し後の章でもふたたび取り上げたいが、わたしは正直なところ、上記のような解釈、世界観に魅力を感じることができなかった。掛合らの世代にとってのオルタナティブな世界と、わたしの世代にとってのそれとの距離感もあったのだろうが、わたしには嫉妬や呪いにより平準化されていく社会は、たとえ共同体のすべての人びとの生存が保障されようと、自然との共存が可能であろうと、時間的ゆとりがあろうと、生きづらい社会に思えた。


赤文字部分で「わたし」は、前段部分に書かれている内容を「魅力を感じることができなかった」と否定している。
「否定の助動詞」は、「逆説の接続詞」と同様の働きをする。つまり、前段部分を打ち消して、これ以降から「わたし」の主張が始まっていくはずなのである。



4. 文脈通りに読むのみ


ところがここでもう一捻りあるのだ。
しばらく語った後に以下の文章が登場する。


(本文)わたしは指導教員が勤める農村社会での調査はせず、グローバル資本主義経済の末端で、市場経済の論理にがっちり組み込まれて商売をする都市の零細商人を研究した。都市研究を志したわたしは、当時の大学院の風土からすると異端だったが、互酬的な関係性や分かち合いの論理は、零細商人の世界でもかたちを変えて存在していた。そして、市場経済が深く浸透した現代都市の商世界で暮らしてみて、いま一度、最少生計努力や平準化について別の解釈を試みたくなった。


つまり一旦は、
「こりゃダメだ。考え違うわ。」と判断した「掛谷先生の『その日暮らし』への肯定」について、
「いや待てよ。もう一度仕切り直して考えてみんべ。」となるのである。
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つまり、ここから以降こそを「わたし」の考えとして、要約の中心部分とすべきなのだ。
加えて、一旦否定した掛谷先生の考え方を再度取り上げているのだから、今度は「わたし」も掛谷先生同様「『その日暮らし』肯定派」に転ずることは、容易に想像がつく。← 「わたし」とは面倒臭い奴なのだ!


このように評論は、書いてあることをその流れの通りに、♩河の流れのよう〜に〜♩読み解いていくのみなのである。頑張りましょう。




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